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2018.10.11

日吉廃寺

10月8日、「高尾山古墳を守る会」主催の『日吉廃寺ってどんなお寺だった?』という講演会が、プラザヴェルデで行われました。

講演をされた小崎晋さんは、沼津市教育委員会の方で、H25年度~28年度の発掘調査を担当されました。
 
「日吉廃寺」の名前を聞いたことがありますか?
「廃寺」とは「廃止された仏教寺院」のことです、と言ってしまえばそれまでですが、廃止された理由・原因は、経済的事情、天災、人災、戦争等が考えられます。
廃止によって施設が崩壊・破壊されて廃墟化・遺跡化した寺院のことです。
日本最古の寺院と考えられているのは、奈良県明日香村の「飛鳥寺」です。588年に蘇我馬子が発願し、596年に百済より渡来した僧や職人によって創建されたと言われます。
 
数年前に「そうだ、『麗しの奈良』行こう!」と思い立って、何人かの知人と一緒に奈良を観光した時に飛鳥寺も訪問しました。創建寺院は火災で焼失し、現在あるのは江戸時代に再建されたのですが、本尊の釈迦如来坐像は創建時のものだと言います。
火災の中を必死に避難させたんでしょうね。
https://www.travel.co.jp/guide/article/11017/
 
廃寺として有名なのは蘇我倉山田石川麻呂の発願により7世紀半ばに建て始められ、石川麻呂の自害(649年)の後に完成したと想定されている「山田寺」です。『日本書紀』によれば、乙巳の変の4年後の大化5年(649年)に、謀反の疑いがあると中大兄皇子に密告され、仏殿前で自害したという記述があります。
建久年間(1190~99)には荒廃し、廃寺となったとされています。1976年(昭和51)寺跡発掘調査の際、回廊の一部が倒壊したまま出現しました。出土した瓦は単弁八葉蓮華文軒丸瓦(れんげもんのきまるがわら)が多く、山田寺式とよばれます。興福寺に所蔵されている国宝の銅造仏頭は、山田寺講堂本尊薬師如来像の頭部だと言われています。
 
沼津市富士見町の日吉廃寺跡は、白鳳期~平安時代初頭にかけて の古代寺院で、古代スルガ国における最古の寺院と考えられています。
 
「白鳳期~平安時代初頭にかけて」というのはどんな時代だったのでしょうか? 
美術史の世界で、飛鳥→白鳳→天平と言われます。代表的なお寺として、それぞれ法隆寺、薬師寺、東大寺が挙げられますが、「白鳳期」は大化の改新(乙巳の変)から平城遷都までの、日本という国家の黎明期になります。
http://butsuzoua.blogspot.com/2017/11/blog-post_27.html
 
沼津市教育委員会では平成19年度から区画整理事業に伴う試掘調査を開始し、平成 25年度から本調査を実施しました。  
これまで大正時代から調査され、寺院に関連する遺構と考えられる柱穴列や多数の瓦(山田寺様式)とともに、仏像の一部である螺髪などが出土しています。おそらく大伽藍だったと考えらます。
 
しかしH25年度~28年度調査では、「遺構面が江戸時代の水田開発などで破壊されていて、伽藍配置などを確認できない」ということのようです。
残念ではありますが、太宰府や元薬師寺のようなその時代を代表するような巨大な柱を用いた塔の存在は間違いないようです。
日本という国が形を整えつつあった時代にどんな寺院をどういう勢力が建立したのか、興味は尽きません。(R)